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重罰化をめざす「刑法・刑事訴訟法」の改正案が衆議院で可決され、昨日より参議院で実質審議が開始された。(改正案の骨子については巷に溢れる情報を参照されたい)
恐らく今週中にも可決され改正案が成立するだろう、1907年の制定以来抜本的改正は実に97年ぶりになるわけだが、一部の有識者や弁護士等から刑法重罰化がもたらす犯罪抑止効果を疑問視する声や、刑務所の過剰収容問題が顕著化するという危惧を唱える者もいるそうだ。
法務省は近年の治安悪化が改正案の背景との認識を示し、抽象的な理由として
などを改正理由として挙げたらしいが、私に言わせればとってつけたような(1)や(2)など笑止千万である、何故堂々と(3)だと言って毅然たる態度がとれないのか不思議でならない。(しっかりしてくれ
私が刑法の趣旨として理解し認識していることは個人の「あだ討ち・報復」の権利を体制(国家)側が剥奪する代わりに国家が個人に成り代って「あだ討ち・報復」を行使するというものである。
(あだ討ちを個人の正当な権利と見做す理由は洋の東西を問わずその歴史的事実により明白である)
これは社会(国家)の側から見れば、報復や復讐の連鎖がもたらす治安の悪化が社会(国家)の健全な発展を阻害する事を未然に防ぐことができるし、また個人の立場から見れば「血を血で洗う」という肉体的にも精神的にも不毛な関わりから開放されると共に「復讐・報復」の達成感がある程度確保されるという、個人と国家という関係から見れば珍しく利害が一致する数少ない法律である。
つまり刑法の重罰化が目指すものの第一の意義は犯罪抑止効果ではなく、被害者や一般国民が考える復讐達成感と実際の刑罰の著しい乖離を緩和する為でなければならない、刑法を重罰化することにより副次的な効果としてある程度犯罪抑止力が働くかも知れないが、どう考えても改正論議の出発点にはなりえないのである。
そのような観点に立てば「少年法」の第1節・第3条の年齢条件などは姑息に年齢引き下げなどせずともよい、被害者の立場からすれば加害者の年齢が40歳であろうが10歳であろうが関係ないのである、被害事実に基づいて妥当な法定刑が下されれば済むことなのである。
また重罰化と併せて再犯者の多さに鑑みて服役囚の社会復帰の制度不備を放置するのは片手落ちではないかという意見も数多く見られるが、これは明らかに別の論議である。
薬物常習者や性犯罪者の再犯率は異様に高い上に、残念なことではあるが今のところ費用効果に優れ且つ信頼性の高い矯正(更生)手段は見出されるには至っていない、物理的かつ安価な矯正方法(Prefrontal lobotomy)があるにはあるのだが…しかしながら加害者の人権はいくら制限されると言っても、認知されることはないだろう。
凶悪犯罪が頻発したり集中発生したりした時に繰り返される議論に、犯罪環境(家庭環境・社会環境等)を明らかにしその情報を公開することが、同種の犯罪を阻止することにつながると考える人達がいる、片やプライバシーの名のもとに個人情報(例え誰であれ)は手厚く保護されねばならないと考える人達がいる、両者は折り合いがつけられるのだろうか?
折り合いがつくということは、犯罪者の人権が今以上に制限されるのは致し方ないとして捉える人達が多数を占めることになる、そうなると次はどこまで制限されて然るべきなのかの議論になるだろう、こうして問題解決の為の手段が新たな問題を生むことになるのである。(果てしなく長い道のりだ、そもそも結論があるのかないのかも定かでない)
更に言えば環境や思考の分析は、学術的な興味(犯罪学)や週刊誌的興味の対象とはなりえるが、その結果をもって犯罪防止の一助にすることができると考えるのは妄想・幻想の域を出ない、精神の多様性は個体の数だけあるとするなら、特定個体の環境や思考の分析結果を不特定多数の個体に当て嵌めることなど極めてナンセンスであり愚の骨頂である。
愛すべき博愛主義者達は刑法の重罰化に嫌悪感を抱き、死刑などという野蛮な刑罰(国家による殺人)が無いのが近代国家であるような錯覚をしているのではないか、人類の歴史を紐解けば殺人(戦争を含む)は人間の生来の資質の一部といっても過言ではない、この事実に目を塞ぎ歴史の事実というものを理解し認識する能力を欠いた人達が死刑廃止論を唱えるのであろう。
加害者を死刑にしたからといって死者が生き返る訳ではない、しかし限りない憎悪と復讐の連鎖を断ち切るためには他に適当な手段が無いというのが現状であるということを認知すべきである。
果たして「人が人を殺す」ことが無くなる日が来るのだろうか? 少なくとも私はその日を迎えることが出来ないのは確実だな。
SpaceHistory 2004.12. 1 Refre
今年も残すところあと3日になりました、「歳を取ると時間の流れが速くなる」よく言われることですが、年とともに痛感する次第です。
国内外に於いて政治・経済・文化と様々な変動がありましたが、今年は日本のみならず海外に於いても特に自然災害が顕著な年のように思います。
自然破壊のツケが回ってきたのでしょうか、地球の歴史に比べれば人類の歴史など取るに足りない僅かな期間でありながら、その僅かな期間に惑星規模の破壊を成し遂げるとは誠に人類とは恐るべき種族です。
昨今「石が流れて木の葉が沈む」世相です、我が身の無力さゆえ社会の激動に抗する術も無きに等しいものの、せめて自然ぐらいは穏やかに流れて欲しいものです。
SpaceHistory 2004.12.28 Refre
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