当サイトは、[XHTML 1.1]でマークアップし、全装飾をCSSで行い[JavaScript]を使用しています。
この数年の新聞やTVのニュースを見聞きしていると、あまねく分野での道徳(モラル)の著しい低下が顕著になってきているように思います。
ざっと思いつくだけで医療ミスの隠蔽や警察の公金横領による裏金づくりや交通事故の証拠隠滅・捏造、教師の性犯罪、悪徳不動産・リフォーム業者、食品企業における虚偽表示や食品衛生法違反、個人の凶悪犯罪の増加などなど、加えて報道や放送されない分を含めると日本中のありとあらゆる所で日常的に違法な行為や詐欺まがいの商売が行われていると考えても不思議ではありません。
近年事が明るみに出るようになっただけで、昔から同様の事は数限りなくあったとの見方もありますが、私はそう思いません、原因は様々でそれぞれが複合する場合もあり一義的に決め付けるのは難しい面がありますが、私なりに考えると、教育の間違いが最大の原因ではなかろうかと思います。
誤った競争意識や平等意識を幼少の頃から植えつけられ、事なかれ主義の無気力教師と馬鹿な親の背中を見ていればまっとうな人間に育つ事を期待するほうがおかしいと思います。
いっそのこと全国民に対し、3歳から6歳まで完全義務教育とし、その間に徹底した道徳教育(理屈抜きで)を親子ともども体に覚えこませるぐらいの荒療治を施すべきでしょう、それとて効果が出るまでには何十年とかかりますが。
言葉や文化など時代と共に移り変わるのはいた仕方ないとしても、下落した道徳感などはとても進化の範疇に入るものではありません。
はじめての進化論 第3章 (集団選択の理論)より
3―集団選択の理論
レミングは本当に集団自殺するのか?
自然選択は、ある性質をもつ個体ともたない個体の、適応度に差があるときに働く。したがって、遺伝的に変化した性質が個体の適応度を高めれば、自然選択が働く。この意味で、「自然選択は個体に有利な性質に対して働く」といえる。
これに対して「集団や種に有利な性質が広まる」といわれることがある。レミングの集団自殺が、その例としてよくとりあげられる。レミングはネズミの仲間の小型哺乳類で、ずんぐりした体で尾は短い。(近縁種として、日本では本州に棲むハタネズミや北海道に棲むエゾヤチネズミがいる)
これらのネズミは、何年かおきに大発生することで知られている。とくに北欧では、レミングが大発生して森林から移動し、一部は川や海に突入したり、谷から飛び込んだりする様子が、集団自殺の例として伝説になっている。「集団自殺」というのが適当かどうかは疑わしいが、大発生した個体が集団で移動し、大量の個体が死亡するというのは事実である。
このような性質(集団移動)が進化した原因として、次のように語られることがある。森林におけるレミングの数が異常に増え、そのままでは、そこにいるレミングが絶滅しかねない。そこで、レミングという種を存続させるために、レミングは集団の一部を残して大移動し、川や海に阻まれると自殺する、というのだ。
この話はよく、集団や種にとって利益となるような性質が進化する例として語られる。しかし、この説明は次に述べるように、誤ったものなのだ。
個体に不利で集団に有利な性質は進化しづらい
「種の存続」が、生物に課せられた最大の使命であるように理解している人は多い。ノーベル賞を受賞した動物行動学者コンラート・ローレンツは、かつて、動物のあらゆる行動は種の利益にかなっているということを主張していた。また一般にも、動物の適応的な性質や行動をみて、「種を存続させるためにうまくできている」という言い方をする人は今なお多い。ある生物の性質がなぜ存在するのかを問うたときに、「集団にとって有利」とか「種にとって有利」だからだといえば、何となく納得してしまうからだ。
ところが実際には、「集団にとって有利」な性質が進化する場合はかぎられている。先のレミングの移動を。「集団の有利さ」の観点から考えてみよう。
集団内の密度が高まると、異常繁殖による集団の絶滅を防ぐために、個体がみずからを犠牲にして移動しようとする性質が出現する(この場合、移動には必ず危険がつきまとうため移動するという行動は、みずからの適応度を下げて、移動しない個体の適応度を増加させることになるので、犠牲的な行動と考える)。そのような集団の中に、密度が増加しても移動しないような遺伝的性質をもつ個体が生じたとしよう。その個体は、他の多くの個体が移動してくれたおかげで、自分は子どもを残すことができる。そしてその子どもも移動はしないので、その集団には、密度が高くなっても移動をしない性質が広まっていくことになる。
つまり、「個体にとって有利」な性質の方が進化しやすく、「集団にとって有利」でも「個体にとって不利」な性質は進化しづらい、ということになるのである。
このように、個体自身を犠牲にして集団の利益を図るような性質が進化することは、難しいといえる。
レミングは「個体にとって有利だから」移動する
それではなぜレミングは集団で移動し、大量に死ぬのであろうか。北海道のエゾヤチネズミ(図14)の例で説明してみよう。レミングほどの大規模な集団移動ではないが、エゾヤチネズミもレミングと同様に、個体数が大幅に変動し、その増加期には多くの分散個体(生まれた場所や定住場所から移動する個体)が現れるのだ。
エゾヤチネズミの雌は繁殖期になわばりをもち、一匹の雄は何匹かの雌のなわばりを動き回る。雄同士はなわばりはなく、行動圏は重なり合う。雌が発情する(雄の交尾を受け入れる状態になる)と、何匹かの雄が交尾しようと雌に接近する。接近した雄の間にかなり優劣の関係があるときは優位な雄が他の雄を追い払い、雌を独占する。雄の間の力が拮抗しているときは、数匹の雄が一匹の雌と交尾することがある。そんな時には、雌の一腹の子どもの父親が異なることになる。雌と交尾するためには雄同士で競争が行われ、交尾できずに終わってしまう雄もいる。
もとの場所を離れて分散した個体を調べてみると、競争に負け、雌との交尾に失敗した雄が多いことがわかった。分散する雄にとってみれば、そこにいても繁殖ができないので、移動に伴う危険を冒しても、別の場所に移ったほうがましかもしれないのだ。
このように、レミングやエゾヤチネズミでみられる移動、分散は、元の場所にいては繁殖可能性の低い個体が、他の場所への移動を試みたほうが少しは繁殖の可能性が生じるために、引き起こされるものと考えられる。そうした観察結果から、最近では、レミングが川や海に飛び込むことなども、「自殺」ではなく、泳いで新しい場所へ移動しようとする行動であるといわれている。
つまり、伝説的な「レミングの自殺」は、「集団(の存続)にとって有利」だからではなく、「個体にとって有利」だからなされるのである。
「集団選択の理論」は限定付き
ここで「個体にとって有利」とは、個体の適応度を高めるという意味である。同様に、「集団にとって有利」とは、集団の適応度(集団がどれくらい存続し、どれくらい集団を生成できるか)を高めることと考えればよいだろう。
集団にとって有利な性質の進化を説明する理論は、個体の適応度の差に働く自然選択(個体選択)に対して、「集団選択」といわれている。特に、一見すると個体にとっては不利に見える性質が進化する原因として、しばしば、この集団選択が持ち出されることがある。理論的には、集団選択によって集団に有利な性質が進化することはありうるし、集団選択の実例も、少数ではあるが示されている。
しかし、個体にとって不利な性質が、集団の絶滅を防いだり、集団の増加を助けるように進化するということは、限られた条件でのみ可能なのである。実際には、レミングの例でみたように、集団の適応度を高めたために動物の行動が進化した、という説を否定するような観察例が多いことを心にとめておいてほしい。
上記引用の文の「個体に有利」=「自分さえ良ければ良い利己主義」、「集団に有利」=「社会規範すなわち道徳や法律の遵守」と置き換えてみると人類という種の避ける事の出来ない将来が見えるような気がします。
できることなら集団選択によって集団に有利な性質が進化することはありうる
事を期待するばかりです。
人生楽しく愉快に過ごしたいなどと贅沢は言いませんが、せめて不愉快な事件はもう少し減って欲しいものです。
今年になっても幣サイトの更新ペースが一向に上がりません、相変わらずかなりの数のサイトを拝見しているものの、どうも私の感性が元々乏しい事と相まってどのサイトを拝見しても最近は皆同じように見えてしまいます。
開設僅か半年ですがもう限界が見えたような気が致します、私の感性が鋭くなるか或はどうでもいいと開き直れるまで更新ペースは上がりそうもありません、とすれば感性が鋭くなる可能性は無いので、開き直りの境地に達するまでご容赦願う次第です。
SpaceHistory 2004.3.3 Refre
Since 2003.9.1
銀河徘徊記Archive » Notes[LOG:2004/03]
©2003-2007 [銀河徘徊記] All Rights Reserved.