銀河徘徊記(2003年12月管理人雑記)

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銀河徘徊記

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管理人雑記ログ(2003年12月)

雑記  2003年12月5日(金)  大山鳴動

如何にも大層にHTMLやCSSの見直しをしますと宣言しましたが、大山鳴動してゴキブリ一匹程度の改善しかできませんでした。

もう自分の意気込みに頭も体もついてゆけない状況に慣れっこになって久しく、自嘲の笑みさえ浮かびません。これからもこんな事が繰り返し起こると思います。

無様な管理人のサイトに辛抱強く訪問して頂いている方々には申し訳ございません、何を言われても返す言葉がみつかりません。

現在CSSの見直しが完了していないため一部のページで表示に不具合が出ております、早晩訂正致しますので今暫くご辛抱下さい。

 SpaceHistory 2003.12.5  Refre 

雑記  2003年12月12日(金)  不調

最近どうもピンとくるサイトに巡り合いません、閲覧サイトのジャンルも何だか偏っているようです。

実際には以前と変わりなく数多くのサイトを見ているのですが、突発的な仕事に忙殺されたりギャンブルで連敗が続いたりと、どうも集中力が散漫になっているようです。

現在のような状況になった時つくづく「自己満足を充足するのが主たる目的のサイト」と公言しておいて良かったと思います、幣サイトをご覧になっている方々には申し訳ないと思いつつも、何とかしなければと焦ったりする事がありません。

人生の経験を長い間積み重ねてくると「何をしてもうまく行かない」時っては往々にしてあるものでして「無理をしても決して良い結果は生まれない」って事が経験則として体に染み付いているので気楽なものです。

まぁそのうちに調子が良くなるでしょう、とは言っても現状が更に長く続く可能性も否定できませんが。


最近いろんなサイトで自衛隊のイラク派兵についての意見がでています、曰く賛成・反対の二極論から憲法解釈の相違まで正に多様な意見が述べられている訳ですが、中に議論が充分に尽くされていないってのもあります。

私は何事につけ様々な立場の人達が自由に自分の意見を述べ、またそれらについて様々な角度から議論を尽くすことは非常に大事な事であり、決しておろそかにしてはいけない事だと認識していますが、実際のところは如何に議論を尽くそうとも最終的に多数派の意見が集約され実行されるだけで、決して議論が尽くされたからと言ってその結果が正しいものであるという保証はありません。

そういった意味では議論を尽くす事はその結果を保証したり担保するものでは無く、その過程で多数派の人達が少数派の意見・議論を如何に斟酌する、或は配慮できるかによって「議論を尽くす」事の意味合いが変わってくると私は思っています。

だとすると今回のような「まず派遣ありき」といった立場の人達と議論を尽くす事が無意味に思えてなりません。

これが隣近所とのことや、数世帯の単位ならともかく少なくとも一国の政府の姿勢だと思うと、恥を知る国民の一人として情けないとしか言いようがありません。


卑しくも法治国家を標榜する国の結論としては誠にお粗末で、総理が日本国憲法前文の一部を切り取り引用して決断の根拠とするに至ってはツッコミ所が満載でまるで漫才ネタのレベルである。

切り取り引用がアリなら、武装した自衛隊がイラクに行くことを指して、憲法9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」に抵触するという理論も成り立つだろう。

そもそも誤った法律「イラク復興支援特別措置法」を前提にした閣議決定(自衛隊の海外派遣)に対し賛否をうんぬんするのは筋違いも甚だしい。

(民法風に言えば「違法な事を前提とした契約は無効である」で議論の対象にすらならない)

百歩譲って「イラク復興支援特別措置法」が正しいと仮定しても同法、第一章・第二条の
3 対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない。
4 対応措置については、我が国領域及び現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施するものとする。
外国の領域(当該対応措置が行われることについて当該外国の同意がある場合に限る。ただし、イラクにあっては、国際連合安全保障理事会決議第千四百八十三号その他の政令で定める国際連合の総会又は安全保障理事会の決議に従ってイラクにおいて施政を行う機関の同意によることができる。)
公海(海洋法に関する国際連合条約に規定する排他的経済水域を含む。第八条第五項及び第十四条第一項において同じ。)及びその上空

今回の武装した自衛隊の海外派遣決定及び派遣地域が同法に抵触するのは火を見るより明らかである。

憲法解釈の拡大・歪曲でその時々の時局・政局を切り抜けようとする、先送り・事なかれの姿勢をこの期に及んで改めようともしない政府並びに内閣法制局の態度は見苦しい限りである。

今を機運として拡大解釈する余地の無い憲法改正を論議するか、国民レベルでの憲法解釈の統一を図る努力をしない限り、未来永劫他国はもとより自国民からも信頼される国家には成り得ないであろう。

 SpaceHistory 2003.12.12  Refre 

雑記  2003年12月24日(水)  日本国憲法

最近どうも「自衛隊のイラク派兵」が既成事実として受け入れられたようで、マスコミも派兵の是非を問う感情論を一般世論として紹介するにとどまり根本的な憲法問題に踏み込もうとする姿勢もなく、国家としての行為が憲法をないがしろにして行われつつある事態に大変憂慮しています。

私が何故憲法にこだわるか、それは憲法と法律には大きな違いがあるからです。

  1. 法律は概ね等しく適用されそこには強者も弱者もない、憲法は逆に弱者(国民)が強者(権力者)の行為を制限するものである。
  2. 法律は時勢により変更されたり廃止されたりするが、憲法は恒久的な国のあり方を定めるものであり長期的な視野から規定されるものである。
  3. 法律は現実とかけはなれていては意味が無いが、憲法は理想を掲げるものであるから現実と乖離していてもかまわない。

まぁ(3.)については現実を理想に近づけるべきか、理想を現実のレベルに近づけるべきか、意見の分かれるところでしょう、しかし少なくとも近代憲法と言われる日本国憲法は立憲主義「権力者の行為を全て憲法に基づかせる」すなわち国民の権利・自由を保障することを第一の目的として権力者を拘束する原理に基づいて制定された憲法であるはずです。

その憲法を政府(権力者)が恣意的に解釈し運用するのを黙って見過ごすことは、憲法の存在意義を否定することにつながります、それが本当に日本国民の意思なのでしょうか。

近代立憲主義の最たる特徴は「憲法が定めた権限以外の権限を国家に与えない」これは憲法を国家権力の上位に位置づけることにより立法府が例えどんな法律や政令をさだめようとも憲法に反することはできないという、憲法に最高法規性を与えたことです。

これを普通に解釈すれば、近年立て続けに成立した法律の中には明らかに憲法に抵触すると思われるものがあります。(今回のイラク復興支援特別措置法や周辺事態法等、個人情報保護法も?)

如何に議院内閣制(民主的な手続きのもと国民が選択した国家の行為)のもと立案・可決・施行されたものであっても憲法の定めに反するならば拒否できるのです、法律が出来てしまったからと言ってあきらめる必要はありません。


何を今更との感もありますが、ここで少し日本国憲法の生い立ちについて簡単に説明してみましょう、まず日本国憲法の前には大日本帝国憲法(明治憲法)が施行されていました、しかし1945年8月14日ポツダム宣言の受諾により齟齬(国民主権を採用しなければならなくなった)の生じた大日本帝国憲法を改正する必要に迫られました。

そこで1945年10月9日、当時の内閣(幣原 喜重郎(しではら きじゅうろう)内閣総理大臣)は憲法問題調査委員会(松本 烝治(まつもと じょうじ)委員長)を発足させある4原則に基づき改正作業が進められたのです。

ところが1946年2月1日、正式発表前に毎日新聞にスクープされ連合国軍総司令部(GHQ)に松本草案が漏れてしまいました、当時GHQ内ではMacArthur,Douglasが米国の対旧ソ連の戦略として極東の安定要素たる日本を求めておりGHQは所謂「マッカーサーノート」(象徴天皇・戦争放棄・封建制の廃止)を反映させるよう要求したのです。

松本草案を1946年2月8日にGHQに提出するも、その僅か5日後にはマッカーサー草案を手渡され再度草案の作成を強要され、同案を元に最終草案(全九章109カ条)を3月2日に完成させ3月4日にGHQとの交渉におもむきます、そこで言われた事は「今晩中に確定案を作れ」でした。

もちろん事の重大さに関わらず充分なすりあわせや議論を行う時間がないまま、3月6日に「憲法改正草案要綱」が決定され4月17日に正式の「大日本帝国憲法改正案」となりました。

その後衆議院・貴族院において審議されいくつかの修正点が付加され、1946年11月3日「日本国憲法」(全十一章103カ条)が公布された訳です。

以上は私個人の認識に基づく憲法の誕生と公布経緯です。別に日本国憲法誕生についての資料と解説が国立国会図書館が公開しています。日本国憲法の誕生

このような経緯で公布された憲法は自主制定憲法と言えないので全面改正すべきだと言う意見もありますが、公布経緯を理由に全面改正を主張するのはいささか短絡的だと思われます、何故なら前段のポツダム宣言の内容を見れば、国の全ての機関を天皇が掌握し統括する権限を持つ明治憲法を継続して施行することが困難なのは一目瞭然で、日本がポツダム宣言を受諾した以上、GHQは条約上の権利(憲法改正)を行使したに過ぎないとも言えるからです。

さらに煩雑な手続きを要するものの公布以後、改正を検討する機会や時間は充分にありながら何もしなかった政府の対応をみれば憲法改正不要は国民の意思に沿ったものであると言うこともできます。

ポツダム宣言の要旨:日本における軍国主義の除去と平和的傾向を有する政府の樹立、基本的人権を尊重する理念の確立。


私は普段の生活では憲法云々など考えた事もありません、まず一般庶民と呼ばれる人達は似たり寄ったりでしょう、しかし私はどのような場合にも基本的に筋の通らないことは我慢出来ないのです。

現在の日本国憲法が現実の世界情勢に鑑みて多くの矛盾を抱えているのは衆目の一致するところであり、理想を現実のレベルに近づける改正が必要であると思うのは私だけではないとの確信もあります、「国民主権」を意識し国家の在り方について議論する絶好の機会をわざわざ権力者側が提供してくれたのです、護憲・改憲と二極論に終始せず国民的憲法論議が巻き起こる事を期待したいところなのですが…。

米国が自ら「戦争放棄」を押し付けておきながら、自衛隊のイラク派兵を歓迎するあたりは歴史事実も認識できない能天気な国家であることを露呈したと云わざるを得ません、バカと付き合うためには賢くあらねばならないとの貴重な教訓とすべきです。

 SpaceHistory 2003.12.24  Refre 

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